
2025年5月30日 09:00
「べらぼう」蔦重に学ぶ! 現代ものづくりに求められるプロデューサーの視点
NHK大河ドラマ「べらぼう」の主人公、蔦重こと蔦屋重三郎は、出版者という枠を超え、スーパースターを次々と世に送り出した稀代のプロデューサーでした。
吉原のガイドブック編集という地域活性化プロジェクトにおいても、その斬新なメディア戦略は現代にも通じる先見性を示しています。
彼のコンテンツビジネスを成功に導いたものは何だったのでしょうか。
現代の製造業では、革新を支える「イノベーション・プロデューサー」の必要性が高まり、中小企業庁も実証事業を通じてその重要性を検証しています。
蔦重の類まれな手腕を参考に、ものづくりにおけるプロデューサーの役割について考えます。
稀代のヒットメーカー蔦重
まず、蔦重のプロデューサーとしての手腕をみてみましょう。
より多くの新しい情報を提供
次の写真をみてください。
これは蔦重が手がけた吉原のガイドブック『吉原細見』、吉原の遊女に関する諸々の情報が記されています。*1
図1 蔦重が手がけた『吉原再見』
出所)蔦屋重三郎『吉原細見』[寛政7 (1795)] 序 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/2539846/1/6
(参照 2025年4月24日)
ユニークなのは、そのレイアウト。
中央に道があり、それを挟む形で2軒の妓楼(遊女をおいて客を遊ばせる店)が載っています。
従来は横長で1ページに1軒の妓楼が載っていたのですが、それを縦長にして図1のようなレイアウトにしたのは蔦重の画期的なアイディアでした。*2
1ページに載る情報量を倍にしたことで、紙や版木の節約になり、その分、発行回数を増やし、新しい情報を発信することが可能になったのです。
これは読み手にとっても、効率的に新しい情報を得ることができる新たな仕組みでした。
多様な情報を組み合わせる
『吉原細見』をもう少し深掘りしてみましょう(図2)。*1
図2 蔦屋から出された歌麿の錦絵(左図)・『吉原細見』に掲載されている情報(右図)
出所)アダチ版画研究所「歌麿・写楽を見出した江戸の敏腕プロデューサー!蔦屋重三郎ってどんな人?」(2021年4月17日)
https://www.adachi-hanga.com/hokusai/page/know_25
右図の赤字は図1の左ページの解説です。
このガイドブックには、妓楼と店主、遊女の名前とランク、禿(おつきの童女)の名前が載っています。
遊女の名前は花扇、最高位の花魁です。
そして左図は、蔦重が吉原で開業した本屋、蔦屋から同時期に出された喜多川歌麿の錦絵(多色刷り木版画)で、花扇が描かれています。
錦絵と『吉原細見』を突き合わせてみると、花扇の風貌やファッションだけでなく、妓楼やランクまでわかるというわけです。
現在でいえば、インスタグラムで文字情報と視覚情報を同時に発信している感じでしょうか。
攻めのプロモーションでありメディア戦略です。
インフルエンサー・平賀源内も担ぎ出す
蔦重は、マルチな才能をもつ平賀源内とも親交があり、『吉原細見』の序文を依頼します。*2
序文とは、今でいえば本の帯に書かれた推薦文のようなもの。
その序文に、コピーライターとして絶大な人気を誇っていた源内を担ぎ出すことで、江戸中の評判になると考えたのでしょう。
図3 平賀源内が書いた『吉原細見』の序文
出所)国書データベース『細見嗚呼御江戸 序』(国文研蔵)
https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/200020645/1?ln=ja
https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/200020645/2?ln=ja
タイトルは「細見嗚呼御江戸序」。「ああ、お江戸」という表現からして興味をひかれます。
その内容を、筆者が大雑把に意訳してみます。
女郎の品定めは、まず目、次に鼻筋、口元、髪の生え際、そして肌の質感や歯並び......。吉原ではどの店もそりゃあ念入りに選んではいるが、完璧な女郎なんてそうそういるもんじゃない。利口な女は野暮だし、美人はおっちょこちょい。静かな女はのろまだし、賑やかな女はがさつ。
それどころか、骨太で毛深いとか、首が短いとか、ししっ鼻なんてのもいる。
ところが、夜10時、張見世(遊女が格子越しに客に姿を見せること)が終わるころには、あら不思議、1人のこらず客がついてるじゃないか。
世間は広いもんだねえ。ああ、これぞまさしく江戸の粋!
遊女を推す立場でありながら美辞麗句の逆をいく。ユーモアとウィットに富んだ、源内ならではのキャッチーな表現。
それが江戸っ子のツボにはまったのです。
蔦重は24歳のとき『吉原細目』の編集者に抜擢され、その後も定期的に刊行していきます。*1
流行の発信地であり多くの人が訪れていた吉原でしたが、さまざまな場所に競合が出現し、高級志向の吉原の人気にも翳りが見えはじめていた頃です。
蔦重は魅力的な情報を次々に発信して、吉原に多くの人を呼び込むことで、地域活性化に重要な役割を果たしました。
本屋から版元に
蔦重は源内に限らず有名な作家に序文を依頼し、話題性を狙いました。*2
こうして蔦重が編集する『吉原細見』は人気を博し、蔦屋は独占権を得て版元(現在の出版社)としてのスタートを切ります。
このことは、とても大きな意味をもちます。
浮世絵版画は、絵師・彫師・摺師の3者の共同制作によって生まれますが、その企画から制作、販売までをトータルでプロデュースしていたのが、版元だったからです。*1
蔦重は「浮世絵の黄金期」と呼ばれる時代に、喜多川歌麿と東洲斎写楽という二大スターを産み出しました。
そして彼らの浮世絵は、後世、モネやゴッホなど西洋の画家にも大きな影響を与えます。
蔦重のプロデュースは世界レベルのクオリティなのです。
イノベーション・プロデューサーに求められる取り組み
これまでみてきたように、蔦重は目利きでした。
時代を読むことに長け、消費者が喜びそうなこと、面白がりそうなことを次々に仕掛け、さまざまな分野でヒットを飛ばしました。
消費者の心をつかむことに成功したのは、彼がそのニーズを十分に把握していたからです。
現在は中小企業における「イノベーション・プロデューサー」の役割が注目されています。
その役割についてみていきましょう。
イノベーション・プロデューサーとは
イノベーションを創出し、新製品・新サービスを生み出すためには、以下のようにさまざまな機能が必要です。*3
1.コア技術やノウハウなど自社の強みを把握すること
2.市場のニーズを探ること
3.自社の強みと市場ニーズのギャップを分析すること
4.自社の強みとニーズ間のギャップを埋めるためにコア技術やノウハウに磨きをかけ、新製品・新サービスの構想を具体化し、差別化戦略を構築すること
5.販路を開拓し、新製品やサービスを市場に投入すること
こうした機能をサポートし、中小企業のイノベーション創出を支援するのが、イノベーション・プロデューサーです(図4)。
図4 イノベーション・プロデューサーの役割
出所)中小企業庁「『令和7年度イノベーション・プロデューサー実証事業』の公募を開始します」(2025年3月17日)
https://www.chusho.meti.go.jp/support/innovation/2025/250317kobo.html
現在、中小企業庁はイノベーション・プロデューサーの活動拡大のために実証事業を行っています。
市場ニーズを見きわめるマーケティング力
中小企業庁が公表した「中小企業のイノベーションの在り方に関する有識者検討会 中間取りまとめ報告書」は、イノベーションを起こすために必要となる機能のうち、 「市場ニーズを見極めるマーケティング力」について、次のように指摘しています。*4
まず、イノベーション創出に向けた取り組みでは、顧客のニーズをふまえた「マーケットイン」の取り組みをすることが大切であるということ。
また、イノベーションは、組み合わせたことのないもの同士を組み合わせて新たな価値を創造する「新結合」によって生まれるということ。
デジタル時代のイノベーションとは、全く新しいものを創造することではなく、既に存在しているもののなかから新たな組み合わせを見つける「組み合わせ型イノベーション」という方向性が重要だという指摘です。
さらに、多くの中小企業にとって強みが発揮できる領域の1つは、高度な技術を必要とする、ニッチな産業であることも指摘されています。
蔦重のイノベーションが示唆すること
ここで、蔦重が手がけた『吉原細見』を振り返ってみましょう。
まず従来のレイアウトを変え、情報提供の効率化を図りました。
また序文に人気作家などインフルエンサーを登用したこと、ガイドブックに遊女の名前やランク、妓楼を示す一方で、その遊女の錦絵を人気浮世絵師に描かせて同時期に提供するなど、まさに「新結合」を多層的に仕掛けていることがわかります。
蔦重の強みは、生まれも育ちも新吉原で、吉原を知り尽くしていたこと。また、吉原の文化を基軸として文化人たちとつながる強い人脈があることでした。
そうした強みを活かして、吉原というニッチな領域で消費者が知りたい情報を頻繁に提供し、タウン情報誌ともいえるジャンルを確立したのです。
蔦重は時代を読むことに長け、消費者が喜びそうなこと、面白がりそうなことを仕掛けてさまざまなイノベーションを起こし、次々とヒットを飛ばしました。
高い専門性に加え、徹底した顧客目線と、既存の要素を組み合わせる「新結合」によって、時代のニーズに応えたのです。
その取り組みは、イノベーション・プロデューサーに求められていることと重なります。
蔦重は現在においても、新たな価値創造に対して、重要な示唆を与えてくれているのではないでしょうか。
資料一覧
*1
出所)アダチ版画研究所「歌麿・写楽を見出した江戸の敏腕プロデューサー!蔦屋重三郎ってどんな人?」(2021年4月17日)
https://www.adachi-hanga.com/hokusai/page/know_25
*2
出所)YouTube台東区公式チャンネル「【2025年放送 大河ドラマの主人公を先取り】台東区発!江戸のメディア王『蔦重のいろは』」1:04~, 1:30~, 1:55~, 2:40~
https://www.youtube.com/watch?v=MkrnmNG02yc
*3
出所)中小企業庁「『令和7年度イノベーション・プロデューサー実証事業』の公募を開始します」(2025年3月17日)
https://www.chusho.meti.go.jp/support/innovation/2025/250317kobo.html
*4
出所)中小企業庁「中小企業のイノベーションの在り方に関する有識者検討会 中間取りまとめ報告書」(2023年6月)pp.8-11
https://www.chusho.meti.go.jp/koukai/kenkyukai/innovation/report/20230622report_02.pdf
横内美保子
博士(文学)。総合政策学部などで准教授、教授を歴任。専門は日本語学、日本語教育。 高等教育の他、文部科学省、外務省、厚生労働省などのプログラムに関わり、日本語教師育 成、教材開発、リカレント教育、外国人就労支援、ボランティアのサポートなどに携わる。 パラレルワーカーでもあり、ウェブライター、編集者、ディレクターとして分野横断的な取り組みを続けている。 X:https://x.com/mibogon Facebook:https://www.facebook.com/mihoko.yokouchi1