
2025年2月28日 09:00
富士山麓の地下水が枯渇する? ものづくりの副作用を知ろう
日本の製造業と富士山の関係 知らなければならないものづくりの「副作用」について
あらゆるものづくりには材料だけでなく、製造工程に多くの資源を必要とします。
そしてわたしたちは、これらを自然界から調達しています。
日本では、いくつかの業種の工場は特定の地域に集中する傾向があります。欲しい資源が豊富な場所です。
そのうちのひとつが、富士山です。
豊富な水を求めて
下の地図は、あるものを生産する工場の所在地を示しています。
富士山近辺にかなり集中していることがわかります。何でしょうか。
これは、国内の製紙工業の所在地です。*1
製紙工場が富士山麓に集中しているのには理由があります。紙を製造するには大量のきれいな水が必要で、豊富な地下水が存在する富士エリアに多くのメーカーが工場を設置しているのです。*2
木材が豊富であることも、もうひとつの要因です。
製紙と水の関係
さて、製紙と水。どんな関連性があるのでしょうか。
それは、伝統的な紙の作り方を見ればわかります。水の中で繊維を集めていく「紙すき」です。工場でも、紙の原料になる木などをすりつぶして水に溶かし、そこから繊維を集めるという手法が取られています。*3
その昔は「紙を1トン作るのに水を100トン使う」と言われていたほどです。*4
紙パルプ産業の水使用量の推移
(出所:日本製紙連合会「環境対策|排水・排煙処理技術」)
https://www.jpa.gr.jp/sustainability/environment/equipment/index.html
今では技術の進歩で水の使用量は大幅に減っていますが、紙パルプ産業は国内全事業の水使用量の9割ほどを占めています。*5
水なしには成り立たない、そしてわたしたちの生活にも欠かせない工業なのです。
画像引用: JASMについて https://www.tsmc.com/japanese
台湾の大手半導体TSMCが熊本を選んだ理由
さて今、台湾の半導体大手であるTSMCが熊本に大工場を設置し稼働させていることが話題になっています。
半導体もまた水を多く使う産業です。しかも、純度の高い水を作らなければなりません。
⽔道⽔にはミネラル成分や塩素などの不純物が含まれています。これらが半導体に付着すると回線をショートさせてしまう原因になるため、不純物を限りなくゼロにした「超純水」が必要です。
しかしこの「超純水」はそう簡単には作れません。
東京ドーム一杯に対して耳かき一匙分の不純物しか入っていない、という純度が求められるのです。*6
よって全体で必要な水の量は膨大になります。
生活のほとんどが地下水で成り立つ豊富さ
そしてTSMCが進出先に選んだ熊本は「水どころ」として知られています。
熊本県の生活用水は8割が地下水で、特に熊本地域は生活のほとんどを地下水に依存しているくらいです。*7
この豊富な水資源も、TSMCが目をつけた対象です。
奇しくも台湾は2020年に台風が1つも上陸しなかった影響で主要ダムの貯水率が軒並み低下していました。節水や水再生の技術力向上に注力してきましたが、それでも水が足りず、生産活動を維持するため、給水車を準備したり、建設用地の地下水の無償提供を受けたりして水を調達するという厳しい状況を強いられました。
その中で、今後の気候変動の加速を考慮すると、安定的な生産のために水が必要と考えたのです。
工業用水 汲み上げの影響
地下水は雨水が森の中で濾過され地下に滞留しているもので、もとは100%自然のもので、一定量の雨が降り注ぎ続ければ持続可能な資源です。
しかしそれ以上に水を汲み上げてしまえば、地下水位の低下や地盤沈下を招いてしまいます。
静岡県では、地下水利用が活発な6地域で定期的に地盤沈下調査を行っています。
静岡県の調査地点における地盤沈下
(出所:静岡県「地下水調査」)
https://www.pref.shizuoka.jp/kurashikankyo/suido/suishigen/1002661/1018041.html
過去には環境省の公表基準である年間20mmを超える沈下が発見されたこともあるといいます。
また、塩水化の問題も抱えています。地下水の塩化物イオン濃度の調査では、昭和53年には107か所あったものが令和4年には26か所まで減りましたが、非常に高い濃度を示す場所もあり、塩水化は依然続いています。
画像引用: NHK国際ニュースナビ 建設が進むTSMC熊本工場
https://www3.nhk.or.jp/news/special/international_news_navi/articles/feature/2023/06/21/32291.html
熊本の救世主だった「田んぼ」の激減
また、TSCMの工場が立地している地域では、すでに地下水位の大幅な減少が見られていました。
熊本県が所管の33カ所の地下水位観測井戸で水位を測定ところ、1989年と2010年の水位を比較すると、14の井戸のうち12の井戸で水位が4、5メートル減少していることが判明し、手を打たなければ、将来枯渇してしまうことがわかったのです。*8
阿蘇の噴火でできた土壌は水を通しやすく、水田から染み込む水も地下水の多くを占めていました。しかし減反政策などで田んぼは減少し、地下水の減少につながっている状態です。*9
TSMCが提出した地下水の取水計画は、第1、第2工場合わせると2028年には最大で年間803万トンに達し、これは熊本市など11市町村からなる熊本地域で使われる地下水の3分の1にあたります。*10
産業のカギは「水」にあり
近年、「ネイチャーポジティブ」という言葉が出てきています。
日本語訳で「自然再興」といい、「自然を回復軌道に乗せるため、生物多様性の損失を止め、反転させる」ことを指します。*11
同じく熊本に工場を構えるソニーセミコンダクターグループは、20年前に地域の寛容活動のきっかけを作りました。当時の社長が「涵養を一緒にやりましょう」と即答し、以来、取水量と同等以上の水を涵養し、協力金を払ってきました。
田植えや稲刈りに社員が参加して栽培米を社員食堂で提供し、地元と信頼関係を築いたのです。*12
これからは「自然界から奪ったものは倍にして返す」ようなスタンスの技術が求められることでしょう。
*1
日本製紙連合会「製紙工場所在地一覧」
https://www.jpa.gr.jp/about/member/factory/index.html
*2
静岡県総合教育センター「富士の工業と製紙工場 2」
*3
日本製紙グループ「すべての工程で薬品・水・エネルギーを削減しています」
https://www.nipponpapergroup.com/contents/000176159.pdf p1-2
*4
水資源機構「愛知用水の「水」使ってます「大王製紙 可児工場」」
https://www.water.go.jp/chubu/aityosui/d(contents)/05(blog)/etc/2011.02.03_01/2011.02.03_01.html
*5
日本製紙グループCSR報告書「環境負荷の低減」
https://www.nipponpapergroup.com/csr/npg_csrr2017_3637.pdf p1
*6
三菱ケミカルアクアソリューションズ「半導体製造を水で支える 超純水 ー限りなく純粋な水ー」
https://www.mcas.co.jp/feature/feature-88174/
*7
東洋経済オンライン「日本人が知らない「熊本の水がすごい」本当の理由」
https://toyokeizai.net/articles/-/514271p1
*8
東洋経済オンライン「日本人が知らない「熊本の水がすごい」本当の理由」
https://toyokeizai.net/articles/-/514271?page=2 p2
*9
東洋経済オンライン「日本人が知らない「熊本の水がすごい」本当の理由」
https://toyokeizai.net/articles/-/514271?page=3 p3
*10
朝日新聞デジタル「半導体巨大工場が使う水「ほぼ町一つ分」 募る「地下水枯渇」の不安」
https://www.asahi.com/articles/ASSB01GF2SB0ULFA009M.html
*11
環境省ecojin「ネイチャーポジティブ」
https://www.env.go.jp/guide/info/ecojin/eye/20240214.html
*12
日経ESG「TSMC新工場、水使用に不安」
https://project.nikkeibp.co.jp/ESG/atcl/column/00005/122500415/?P=2

清水 沙矢香
2002年京都大学理学部卒業後、TBSに主に報道記者として勤務。社会部記者として事件・事故、テクノロジー、経済部記者として各種市場・産業など幅広く取材、その後フリー。 取材経験や各種統計の分析を元に多数メディアに寄稿中。