
2024年10月 4日 09:00
「知らない」は「できない」ではない...不器用女がDIYにチャレンジした結果
「知らない」と「できない」は似て非なるもの
わたしは不器用だから、DIYなんてできない。
ずっとそう思っていた。
工具なんてまともに触ったことがないし、重い物だって運んだことがないし。
でもそれは「できない」んじゃなくて、ただやり方を「知らない」だけだったんだ。
「知らない」と「できない」は似ていて、ついつい同じものだと思ってしまう。でも本当は全然ちがう。
というわけで今回は、「知らない」と「できない」を混同すると、本来できることでもできないと思い込んでしまう、という話だ。
超不器用だけど、扉に取っ手をつけられた!
わたしは自分の手でなにかを作るのは比較的好きだけど、残念ながらとても不器用だ。
Amazonで注文した物を開封するときに段ボールでよく手を切るし、充電コードに足を引っかけて何度もノートパソコンを落下させるし、ぼーっとしていて自転車に轢かれそうになることもしょっちゅうだし......。
ものすごくかわいく表現すれば「ドジ」だが、端的にいえば「ドンくさい」。
自分でもしっかり自覚しているので、DIYなんて絶対にムリだと思っていた。うっかり手を滑らせて、手のひらに風穴が開きそうだ。
まわりからも不器用なイメージを持たれているらしく、「危ないからやめておけ」と言われていた。
うん、そうだよね。家具を組み立てるなんて、わたしにはムリだ。
......と思っていたのだが、そうも言っていられない状況になった。
とある家具チェーン店で買った幅2メートルもある巨大ワードローブの扉に、取っ手をつける穴がなかったのだ。表を見ても裏を見ても穴が開いておらずツルツルで、どこに取っ手をつければいいのかわからない。
取っ手はオプションだから、扉にはもともと穴が空いていない仕様なのかもしれない。でもそれならそうと最初から言ってくれ......。どうしたらいいかわからないよ......。
とはいえ扉が閉まらないと服がほこりをかぶってしまうから、取っ手をつけないといけない。
最初は接着剤でつけてしまおうかとも思ったが、加工されている扉にうまく接着剤が作用するかもわからないし、接着剤がはみ出したら見栄えが悪くなってしまいそうだ。
これは腹をくくって、自分で穴を開けて取っ手をつけるしかない......!
そもそも我が家には工具といってもドライバー1本しかなかったので、とりあえずAmazonでドリル?のようなものを購入。穴を開けてしまえば、あとは付属のネジを使って取っ手を固定できるはず。
うーん、こうかな?
なんか穴の位置が左右対称じゃない気がするぞ、もう一度丁寧に測りなおして......。このドリルはスイッチを押すだけでいいのか。ウィーン。おお、めっちゃ掘れる! すごい!
......あれ、なんだか意外と簡単じゃない?
YouTubeにアップされている無数のノウハウ動画を参考に作業してみると、とくに苦労することもなく立派なネジ穴が開き、取っ手をつけることができた。
まぁ穴を開けてねじで固定するだけだから当然なのだが、やってみれば結構できるものだ。
なんでわたしはたったこれだけの作業を、「ムリだ」なんて思っていたんだろう。
やったことがないから「できない」と思い込んでた
そもそもわたしは小さい頃から、図工が好きだったのだ。
お人形遊びをするときでも、人形を動かすより、いらない布を切り貼りしてオリジナルの服を作ったり、家具や小物を動かして自分好みの家にしたり、そういうことばかりしていた。
それなのにいつのまにか「自分は不器用だ」と思うようになり、「手作業は向いていない」と決めつけるようになってしまった。
いったいなぜだろう。
きっと大人になって細かな手作業をする機会が減って、でも年齢とともにできることは増えて、「知らない」ことばかりになったからだ。
子どもなら「植物を育てたい」と思えば、朝顔の鉢植えを買って水をやっていればよかった。でも、大人になるとそうもいかない。
どのくらいの大きさのプランターにするか、なにを植えるか、虫対策はどうするか、土や肥料はどれを選ぶべきか......選択肢が増えるからこそ、決めなきゃいけないことがたくさんある。
でもそれらのノウハウを知らなければ、たくさんの選択肢は重荷になってしまう。「どうしたらいいかわからない」「なにをすればいいんだ」と、お手上げ状態だ。
そして結果的に、「植物を育てるなんてムリだ」という結論になってしまう。
図工が好きだった子どもも、大人になれば「工具を持ってないし、使い方もわからないし、自分にはムリ」だと思ってしまうのと同じように。
能力が足りないからできないのではなく、ただやり方を知らないだけ。
やり方さえわかれば、できるはずのこと。
でも大人になると、できるかどうかわからない、完遂する自信がないものは、「できないもの」に分類するようになってしまう。だって、失敗したくないから。
みなさんも、仕事でそんな経験をしたことはないだろうか。
やったことがなくて、できるかどうかわからない。無責任に請け負ってできなかったら困る。
だから、「(やったことがないので)できません」と言ってしまう。
でも改めて考えてみると、やってみなきゃできるようにはならないんだから、知らない=できないにしてしまうと、初めてのことは全部「できない」になってしまうんだよな。
「どうせできない」が学ぶ機会を奪う
そういえば少し前、夫と似たような話をした。犬のしつけについてだ。
我が家の愛犬クロはもともと保護犬で、引き取った時点ですでに8歳。目に入れても痛くないくらいかわいいのだが、今まで野山で暮らしていたのと我が家にとって初めての犬ということで、しつけには四苦八苦。
とくに街中では、どれもこれも気になって走り回ろうとするし、自転車を追いかけようとするし、走る子どもに飛びつこうとする。危なっかしくて一秒たりとも目を離せない。
とはいえ今後のことを考えると、どんなに大変でも、クロには街中での振る舞いを学んでもらうしかない。そうしないかぎり、わたしと夫はもうショッピングができなくなってしまう。
というわけで、わたしは「まずは人が少ない時間帯のカフェで待つ練習をさせよう」と夫に提案した。
が、夫は否定的で「きっと吠えるし、暴れると大変だからやめておこう」と言う。
もちろん、夫の言い分もわかる。クロと一緒に街に行くのはとんでもなく疲れる。一緒に公園で遊んでいたほうがわたしたちも楽だし、クロも楽しいだろう。
でもたった1度や2度街に行って、そのときクロがうまく振る舞えなかったからって、「クロにはできない」と決めつけるのはかわいそうじゃないか。
クロはまだ、どうするべきか知らないだけ。行きかう人々は危険な存在ではない、カフェはくつろげる場所。それを理解すれば、きっと一緒に街を楽しめる。
わたしたちも改めて情報収集して、街に行く前に散歩で疲れさせる、カフェで吠えそうになったら骨のおもちゃで気をそらす、などの対策をして再度トライ。
そういったことを繰り返すことで、クロはだいぶ落ち着いて街を歩けるようになった。
知らないからできないのなら、知ることでできるようになる。
学ぶ機会がなければ、できることもできるようにならないのだ。
「知らないけどできるかもしれない」が新しい世界の扉を開く
やり方を知らないから、できない。
でもそれは能力が足りないからじゃない。ただ、経験がないだけ。
それなのに、失敗を避けるために「きっとできない」と決めつけてしまうことは往々にしてある。
それは自分自身の思い込みかもしれないし、まわりの人の影響で「できない」と思わせられているだけかもしれない。
でもやり方を学べば、多少なり向き・不向きはあれど、たいていのことはできる。
そもそもみんな、最初は何も知らない初心者からスタートなのだし。
やったことがないからといって、すぐに「できない」と言うのはもったいない。手を動かしてみれば結構どうにかなるし、案外楽しいことだってたくさんある。
そうやって、「知らない」と「できない」を混同せず、「知らない」けど「できるかもしれない」と思うことで、人は未知なる世界に飛び込んで新しい経験をすることができるのだ。
というわけでわたしは今度、棚に色を塗るというDIYに挑戦してみようと思う。
やったことがないからやり方はわからないが、調べてやり方を理解すれば、きっと「できる」はずだから。
雨宮紫苑
ドイツ在住フリーライター。Yahoo!ニュースや東洋経済オンライン、現代ビジネス、ハフィントンポストなどに寄稿。著書に『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)がある。