ルールを守らせる管理者は嫌われる...でも不正防止・安全管理には必須

安全管理には必須!損な役回り「管理者」が大切な理由

管理者というのは、損な役回りだ。

学校で先生に「襟足が長い」と注意され、「めんどくさ~」と思ったことがある人もいるだろう。

町内の回覧板の返事がちょっと遅れたくらいでチクチク言ってくるお隣さんに謝りながら、「このくらいでうるさいな......」と内心毒づいている人もいるかもしれない。

ルールを守っているかをチェックし、守っていない人に守らせる。
見方によっては他人の粗探しともいえる行為で、まわりからは嫌われることが多い。

それでも不正や事故を防ぐためには、管理者は必要不可欠なのだ。

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後輩にブチ切れ説教したH先輩は嫌われた

わたしは高校時代、弓道部に入っていた。

時折現れるH先輩は5つ?くらい上のOBで、大学でも弓道を続けているらしく、指導という名目でたまに高校に練習しに来ていた。

それはいい。全然いい。
が、その先輩はめっちゃ口うるさくて、わたしはあんまり好きじゃなかった。

ふらりと現れて、「誰? 道具置きっぱなしにしたヤツ」「もっと声出せよ」「まわりよく見て動け」とか、きつめにダメ出ししてくるのだ。

H先輩が来ると、元気に挨拶しながらも(また来たよ、ダル~!)と思っていた。

ある日、部員Aは的に刺さった矢を回収し、射場(矢を射る場所)にいる人たちに、矢を回収し終わった合図を送った。

つまり、「矢を回収して矢道(矢を撃つ場所から的までの空間)にはだれもいないから、もう射ってもいいですよ」という意味である。

しかしAが合図をしたとき、的からかなり手前の地面に刺さった矢を抜こうとしていた別の部員が、矢道にまだいたのだ。

それに気付いたH先輩は大声で、「まだ矢道に人がいるじゃねぇか! ちゃんと見て合図しろよ、ふざけんな!」と、Aを叱りつけた。

すぐにAは合図を取り消しH先輩に謝りに行ったが、そこでもかなりきつめに注意を受け、しまいには泣き出してしまった。

その後部室で、
「たしかにAは悪かったけど、H先輩も普段から当たりきつかったし、ちょっとひどいよね。次から気をつければいいよ」
「そうだよ、ミスはだれにでもあるし。どんまいどんまい」
「気晴らしにマックでも行こ~」
「あ、いいね、そうしよう!」
とAを励まし、マックに行った。

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事故防止のために嫌われ役を買って出た

そのときわたしたちは、「たしかに危なかったけど、人がいたらだれも打ち起こさない(弓矢を持ち上げること)んだから、あそこまで言う必要はなかったはず。Aがかわいそう」だと思っていた。

だって、いつもはちゃんとやってるもん。今回ミスしちゃっただけ。
事故なんて一回も起きてないんだから、そこまで言わなくてもいいじゃない。
こんな感じで、H先輩への印象がより悪くなったのだ。

でも、いまだからわかるが、H先輩は事故防止への意識が低いわたしたちに、それがいかに危険かを伝えたかったのだと思う。

弓道は、少しの気のゆるみが大事故につながる可能性のある競技だ。性能が違うとはいえ、弓矢はもともと狩りや戦で使われていた「武器」なわけだし。

だから道具を正しく管理し、全員に聞こえる大きな掛け声が大切なのに、わたしたちはそれをちゃんと認識していなかった。それを感じ取り、Aのミスを強く咎めたのだろう。

「どれだけ危ないことかわかってるのか!」と。

もちろん、別の言い方もできたとは思う。でもH先輩がAを叱ったことで、矢取り(放った矢を回収しに行くこと)の際は矢道に人がいないかちゃんと確認しようと、みんなが気を引き締めたのも事実。

H先輩は事故防止のために損な役回りを引き受け、後輩たちにルールを守らせたのだ。

敵視されやすい「管理者」という立場

ルールを守っているかチェックする立場の人は、嫌われやすい。

他人の落ち度を見つけ、それを注意し、改善させるのだ。そりゃやられた側はイヤに決まっている。

いくら言い方に気をつけようがネガティブに受け取る人はどこにでもいるし、相手のためを思ってやっても伝わらないこともある。まさに、損な役回りだ。

YouTubeを見れば、職務質問している警察官をからかったり、差別的な言葉を浴びせながら警察官を取り囲んだり、なんていうしょうもない動画がたくさんある。

警察官は犯罪を防ぐため、犯罪を見逃さないため、身を危険にさらしてまで職務質問をしているのに。それでも、「治安維持のためにがんばってくれている」と好意的に受け取らない人は、たしかに存在するのだ。

また、ドラマ『半沢直樹』では、税金の管理をする国税庁や金融機能の管理をする金融庁が、まるで銀行の敵かのように描かれている。

脱税の調査をしたり、銀行が隠している書類を提出しろと要求するのは彼らの仕事であり、悪いことはしていないにも関わらず、だ(アウトなこともやっていたので100%正義ともいえないが)。

ルール=自由を制限する悪いものと認識している人が多いからか、それを押し付ける管理者に、抵抗感を覚える人は少なくない。

単純に、自分の落ち度を指摘されたことに腹を立てて敵視したり、細かいことをしつこく言われてうんざりすることだってあるだろう。

でも、改めて、声を大にして言いたい。
「ルールを守らせる人がいるからこそ、ルールが機能するんだぞ」と。

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管理者がいない→ノールール→危険・不安

もし、管理者がいなかったら?

ルールを守っていない人ばかりでもそれを正す人がいないので、ルールは形骸化して、だれも守らなくなる。

ヘルメット着用義務を無視したり、一時停止を守らず直進したり、マニュアルとはちがう工程で作業したり......。いやいや、怖すぎるよ! 大事故頻発確定じゃん!

もちろんこれは、「安全」に限定した話ではない。

コンビニで余った恵方巻をバイトに買い取らせる店長や、育児休業を申請した社員を閑職に追い込む人事。

ルールを破って、自分の都合がいいように他人の権利を侵害する人はどこにでもいる。それが許されるノールール社会になれば、だれも「安心」して暮らせない。

安全に、安心して暮らすためには、ルールが必要。
でもそのルールは、ただ存在するだけでなく、それが守られる環境があってはじめて意味をなす。

その環境をつくるのが、「管理者」なのだ。

しかし管理者の仕事は、なかなか理解されづらい。

ルールを守らせて事故を防いでも、まわりが「事故が起こりうる危ない状況だった」ことに気付かなければ、管理者が感謝されることはない。むしろ、「口うるさい」と思われることすらある。

わたしたちが、H先輩を煙たがったように。

逆に、管理者が大活躍してさまざまな事故を防いだ!となれば、それだけルールを守っていない・ルールに穴があったということなので、喜ぶべきことではない。

つまり管理者は、「他人にルールを守らせる」という損な役回りをするうえ、さらに「わかりやすい手柄をあげないほうがいい」という立場なのだ。ううむ、つらい。

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安全と安心のために管理者は必須の存在

事故や事件が起これば、「なんでちゃんと管理していないんだ」と責められ。
ルールを守らせれば、「いちいちうるさい」と煙たがられ。

管理者というのは、本当に損な役回りだと思う。

でもきちんとルールを把握し、他人の言動に気を配ってルールを守らせるのは、だれにでもできることではない。

安全と安心を守る使命感と、相手にどう思われても全うするという責任感がある人じゃなきゃできないことだ。

言われたほうはぶっちゃけ「いちいちうるさいな」と思うこともあるが、「いちいち」チェックして、「うるさい」くらいきっちりルールを守らせる人がいるのは、幸せだと思うべきだろう。

そういう人がいるからこそ防げる不正や事故が、たくさんあるのだから。

雨宮 紫苑

ドイツ在住フリーライター。Yahoo!ニュースや東洋経済オンライン、現代ビジネス、ハフィントンポストなどに寄稿。著書に『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)がある。