お金で動かない職人の話。彼の心を動かしたものは?

駆け出しのアパレルブランドに携わっていたとき、忘れられない出会いがありました。それは、熟練の鞄職人との出会いです。

私たちは、彼に鞄づくりをお願いしたかったのですが、「ウチは下請け仕事はしていないから」と断られます。この一言で、私たちの計画は頓挫しました。

今回お届けするのは、諦めきれずに何度か工房を訪ねたときのお話です。私たちを待っていたのは、単なるビジネス取引以上の、深い教訓となるできごとでした。


オリジナルの革鞄を作りたい、けれど──。


AdobeStock_218819489.jpeg私が関わった駆け出しのアパレルブランドは、革新的なデザインと独自の哲学を持っていました。

メンバーは20代〜30代。業界経験も浅く、いま思えば、怖いもの知らずなチャレンジばかりしていました。

ある日、ブランドの展開を広げるため、私たちはある鞄職人にアプローチしました。この職人はその分野で知られた人物で、彼の作品は独特の風合いと品質で評価されていました。

デザイナーのひとりが、彼の鞄に惚れ込んでいて、どうしても彼に依頼したいというのです。

しかし、彼は商業主義に染まらず、自分の信念に従って仕事を選んでいました。

自社ブランドとオーダーメイド以外の仕事は請けず、有名ブランドの依頼も断ったといいます。

工房へ何度かお邪魔しましたが、
「申し訳ないねえ」
と言われるばかりで、話はいっこうに進みません。

「今日も、収穫はなしか......」
と帰ろうとしたとき、
「おっ、それは......?」
と、職人が私に声をかけました。

視線の先にあるのは、私のバッグから覗いていた、ヌメ革の小銭入れです。

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とても愛用しているものなので、なんだかうれしくなって、私はその小銭入れのことを話しました。

革製品が欲しくて、大学生のときにバイト代を握りしめて買ったこと。
最初はお手入れの方法がまったくわからなくて、たくさん勉強したこと。
白に近いベージュの革色が、毎日少しずつ変わっていく姿が愛おしくて、写真を撮ったこと。

今では、もとの色が想像できないほど、濃い飴色のツヤを放っていて、くったりと手になじむ感覚に、どこか安心するのです。


下請け仕事を拒む理由とは


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職人は私の話を静かに聞いた後、下請けの仕事を受けない理由を語りました。

彼にとって、作品は単なる商品ではなく、魂の一部でした。彼は自分の作品を大切にする人にだけ、その技術を提供したいと考えていました。

「どれだけ、ここに気持ちを込めているか、わかるかい。
お金がいくらもらえるか、じゃなくて、この気持ちが誰のところに行くか、なんだ」

彼にとって、最も重要なのは、作品がどのように扱われ、その品質に対してどれだけの敬意が払われるかです。

自分の作品を数多く売ることよりも、それを真に理解し、価値を認めてくれる人々に届けることを望んでいました。

なぜなら、彼にとって、ものづくりはただの職業ではなく、生き方そのものだからです。

細部に至るまで完璧を追求し、ひとつひとつの作品に、"自分自身" を反映させています。

「生き様を、お金で売れるわけがない──。」
そこにいた一同が、はっと息を呑んだ瞬間でした。

「ヌメ革は、けっこう難しいからねえ。きれいにエイジングしているね」
彼はそう言い、眺めていた小銭入れを、そっと私に返してくれました。


ものづくりの信念を貫く


AdobeStock_613179971.jpeg職人の姿勢は、まだ若かった私たちに、大いに影響を与えました。

彼の意思決定は、常に自身の信念に基づいています。商業的な成功を追求することよりも、自分の作品に対する真実と正直さを優先していました。

この職人のものづくりに対する姿勢は、私たちが日々の仕事を行う上での指針となりました。

彼のように、自分の信念を貫くことの大切さを学び、私たちもそれを実践しようと決心しました。

商業的な成功を追求することも重要ですが、それ以上に大切なのは、自分の作品や行動に誇りを持つことです。

私たちは、何のためにこのブランドを継続し、自分自身の何を表現したいのか。そんな議論を、毎日毎日、行いました。

作品に情熱と献身を吹き込むことは、本質的な価値と意味の理解を出発点としない限りなし得ない、と気づいたからです。

別の表現をするなら、単なるビジネスを超え、私たちの哲学と使命を反映するものでなければ、ビジネスとしても成立しないという厳しさを、知ったのです。


大事な仕事を渡す先


AdobeStock_441393211.jpegマーケティングでは「ターゲットが大事」とよくいいます。ターゲットに、ベネフィット(便益)を提供するからこそ、そのベネフィットに対する対価を得ることができます。

これは、特定の顧客層に製品やサービスを合わせることにより、効果的なマーケティング戦略を構築する基本的な考え方です。

米国を中心に発展した古典的なマーケティング理論は、戦略的思考や用語の面で、軍事戦略の影響を受けています。この「ターゲット(Target)」も、そのひとつです。

軍事用語では、ターゲットとは、攻撃の対象です。マーケティングでは、顧客化するためのマーケティング活動を行う対象を指します。

乱暴に表現してしまえば、「誰に買わせるか?」がターゲット設定となります。私たちは、ターゲットを決めることを、やめました。

私たちが何かを作り出すとき、その背景には深い思いや哲学があります。それを大切にしてくれる人たちと付き合いたいと思いました。

お互いに理解し合い、共感できる人との関わりのほうが、ずっと豊かです。それは、よりよい創造のモチベーションとなり、結果としてベネフィットを生み出すでしょう。

命を吹き込まれた私たちのブランドは、派手さはありませんが、ゆっくりと生き始めました。今現在も、理解者の生活に深く根ざした存在として、生きています。


さいごに


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「ものの価値」を理解せず、文句ばかり言う人よりも、理解してくれる人に、自分の大事な仕事は、渡したい。

そのような思いに、共感される方は多いのではないでしょうか。

同時に、自分自身も、誰かの大事な仕事を理解できるような教養と深みを身につけることは、日々の目標です。

他者の仕事の背景にある思いや意図を深く理解することが、真のプロフェッショナルへの道だと信じています。

くだんの職人とは、数年後、仕事をすることになります。

当初思い描いていたのとは異なるかたちかもしれませんが、その共同プロジェクトは、私たちの心を震わせました。

その手から世界でひとつの鞄が生まれたとき、理解と信頼の結晶のように感じられたのです。

「ものづくり」で、私たちは、何を作っているのか。"もの" とは単なるアイテムではなく、哲学、情熱、そして人間同士の敬意が、具現化したものかもしれません。

世の中は、新しいテクノロジーであふれています。そんな今だからこそ、あらためて、職人から学んだ教訓を胸に、新たな創造に向けて歩みを進めていきたいと思います。

三島 つむぎ

ベンチャー企業でマーケティングや組織づくりに従事。商品開発やブランド立ち上げなどの経験を活かしてライターとしても活動中。