
2024年2月 2日 09:00
「早く終わったなら安くしてよ」...職人のスキルを安く見積もる素人の誤解
詳しくない人にも、ものづくりの価値を理解してもらうためには
先日こんなポストがバズり、1万以上のいいねを獲得していた。
https://x.com/kunihirotanaka/status/1709862337258328396?s=20
「早く仕事を終わらせたことで損をした」という経験は、だれにでもあるだろう。
そういう話を聞くたびに、わたしは「苦労するほど価値があるという日本的な考えはよくない」と思っていた。実際、このポストに対しても、そういった趣旨の引用リツイートをしている。
でも、ふと思った。
こういう人たちは、「時間をかけて苦労したほうがえらい」と考えているのではなく、単純に、どれほど価値があるのかを判断できないだけなのでは......?
この記事の執筆時間と報酬、あなたは当てられますか?
ライターのわたしは、記事を書くことで報酬をいただいている。
では、たとえばこの記事を10分で書き上げ、2万円の報酬を受け取っているとしたら、あなたはどう思うだろうか。
「10分ちょちょいと書くだけで2万円? 楽な商売だなぁ」とか、「10分程度で書けるならもう少し安くていいだろ......」なんて印象を受けるんじゃないだろうか。
では逆に、「この記事の執筆時間と報酬はどの程度が妥当か」と聞かれたらどうだろう。
この記事を書くのにかかった時間、実際の報酬をピタリと当てることができる人は、そう多くはないと思う。
そう、知らない分野の仕事に対する認識なんて、みんなその程度なのだ。
そういえば先日、うちの車のオイル部分が壊れたことがあった。
......なんて書いてはいるが、わたし自身「オイル」がなにか知らないし、「壊れる」という状況がなにを指すのか、正直よくわかっていない。
友人の自動車整備士に相談してみたところ、徒歩1分の距離に住んでいるので、すぐに来てくれた。
パパっとオイルを継ぎ足して、終わり。作業時間は10分程度。
もし修理屋で同じことをお願いして2万円請求されたら、「ちょっとオイル入れただけで2万円もするの!?」と驚いたと思う。
でも、「じゃあ妥当な修理代はいくら?」と聞かれると、それはそれで困ってしまう。
「オイルを継ぎ足す」という判断をするためにどの程度の知識と経験が必要なのか、他の人ならどの程度の作業時間がかかるのか、見当もつかないからだ。
なにも知らない人に「仕事の価値を正しく判断しろ」なんて、そもそも無理な話なのである。
「時間に対する値段」でしか価値を測れない人
その作業にかかる時間や求められる専門知識、経験年数、競合相手の値段......それらを全部考慮して、「この仕事はだいたいこれくらいの価値がある」と判断する。
相手の仕事の価値を測るには、「その分野の相場」という物差しが必要なのだ。
しかし業界にいる人、詳しい人ではないかぎり、そんな物差しはもっていない。だから、どの程度の価値があるかがわからない。
ではその分野についてなにも知らない人は、どうやって他人の仕事の価値を測るのか?
それは、時間だ。
つまり、「時間に対する値段」で考える。
時間はだれもが等しく持っているし、どんな作業をするにも時間はかかるから、価値を測る尺度としては汎用性が高い。
「たった10分の修理で2万円は高い」と言った人はきっと、その修理に必要な専門知識の程度や平均的な作業時間などの、「相場」を知らなかったのだ。
だから、いつでもどこでも使える「時間」という物差しで相手の仕事の価値を測った。
そう考えると、「10分で2万円は高い」という感覚は、ある意味まともだと言える。「10分カット」や「10分で靴磨き」が2万円もしたら、だれだって「高い」と思うから。
つまりこのポストに関していえば、他人のスキルや経験を軽視した非常識な人ではなく、その分野に詳しくない人だからなにもわからずにまちがった物差しで測ってしまっただけなのだと思う。
その分野の相場を知っていれば正しく判断できる
なにもわからない人に「これは価値がある仕事なんだ」と思ってもらいたければ、「価値を測る物差し」を与えなくてはいけない。
たとえば、「うちの工房にはこういう職人さんがいるからこれが可能」とか、「この細かい作業は限られた人しかできないから貴重」のように。
必要な労力やスキル、一般的な値段といった相場を知ってはじめて、他人の仕事の良し悪しを判断できるようになる。
基準となる知識を与えずに、「自分の仕事を正しく評価しろ」というのは、無茶振りだ。
「いい仕事をしたら正しく価値を認めてもらえる」というのは、相手がその仕事の相場を知っているプロのときのみ。そうではない人相手では、そうはいかないのである。
残念ながら、そのあたりの認識が甘くて損をしている「作り手」はきっと、たくさんいる。
もっと丁寧に説明すれば、詳しくない人でもその価値を理解して、より高く評価してくれるだろうに......。
正しい物差しを持つ人が増えれば、作り手はもっと評価される
なにも知らない人相手に、「こいつはわかってない! けしからん!」と腹を立ててもしょうがない。だって、そういう人を相手に商売をしているのだから。
わたしは車の修理に関する物差しを持っていないし、あなたもきっと、記事執筆の仕事の労力やスキルを評価する物差しを持っていないだろう。そんなものだ。
自分の仕事の価値を正しく評価してもらいたければ、相手が無知であることを前提に、「どれだけすごいことなのか」をちゃんと伝えなきゃいけない。
10分で終わらせた修理で2万円請求して「高い」と言われたら、胸を張って、こう言えばいいのだ。
「えぇ!? 安いですよ!? ほかなら1時間はかかります。でもうちは優秀だから、たったの10分で終わったんです。今まで数百件はやってますからお手の物ですよ。難しい修理も早く対応することがウリなのでね」と。
相手は、価値を測る物差しをもっていない人。
それを前提に、「時間ではなく専門スキルという尺度で測ってください」と、ちがう物差しを持ってきて渡すしかないのだ。
物差しとなる知識を与えて価値を正しく判断してもらえれば、しぜんと値段にも納得してもらえるはず。
そういった積み重ねによって、作り手のスキルや知識・経験などが正しく認識され、作り手が高く評価されるようになっていくのだと思う。
雨宮 紫苑
ドイツ在住フリーライター。Yahoo!ニュースや東洋経済オンライン、現代ビジネス、ハフィントンポストなどに寄稿。著書に『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)がある。