古くから続くものづくり 造り酒屋の営みが教えてくれた大切なこと

造り酒屋の営みが教えてくれた、"ものづくり"にとって大切なこと

語り草になっていることがあります。
それは、兄の結婚披露宴に地元の芸者さんが総出で来てくれ、招待客のお酌をしてくれたことです。
叔父の結婚のときもそうだったので、そういうものだと思いこんでいた私は、お客さまたちの驚く様子が、逆に衝撃でした。
そうか、世間では、結婚披露宴に芸者さんは来ないのか・・・。

ではなぜ、叔父や兄の披露宴では芸者さんに手伝ってもらったのか、手伝ってくれたのか―そこには、ものづくりにまつわる価値観が反映されています。

ものづくりにもさまざまな現場があります。
古くから続く造り酒屋の営み。その「現場あるある」と、その現場が教えてくれた大切なことをお伝えしたいと思います。

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働き、生活する現場

実家の敷地内に「蔵」があったので、私は「蔵人(くらびと)」と呼ばれる職人さんたちに囲まれて育ちました。

仕込みのシーズンは10月から翌年の春まで。職人さんたちは近隣の町や村で農業を営んでいて、農閑期に蔵人となり、機械化が進むまではずっと住み込みで働いていました。

毎年10月になると、急に人が増え、わさわさと活気づきます。そして、春が近づくにつれ、次第に工程が減っていき、潮が引くようにシーズンが終わる。

酒造りには、「原料白米の受入」から商品の「出荷」まで34の工程があるとされています。下の図1は、その工程を簡略化して示したものです。*1:p.3, *2

2.png 図1 日本酒の製造工程
出所)日本酒造組合中央会「日本酒の製造工程」
https://japansake.or.jp/sake/about-sake/sake-brewing-processes/

私が子どもだった昭和40年代頃、地方の小さな造り酒屋である実家では、瓶詰以外の工程はほぼすべて手作業だったのではないかと思います。
「思う」というのは、仕込みのシーズン中、「蔵」にはめったに入れてもらえなかったので、すべての工程を見ていたわけではないからです。

「蔵」と呼ばれる大きな建物の中には、「室(むろ:温度を一定に保つ部屋)」と「釜(ボイラー)」、蔵人たちが寝起きする部屋、それに酒蔵があります。
一般的な土蔵と同じような造りの、ずっしりと重い大きな扉を開くと、その奥が酒蔵で、しんとした冷気と酒の香りが入り交じり合った、独特の空気が漂っていました。

今では酒造組合でまとめて行っている精米も、当時はそれぞれの酒屋で行っていたので、裏庭には、精米所もありました。
火加減を担当するのは、腹掛け姿の「釜やさん」。

それぞれの持ち場で、文字通り汗をかきながら働く蔵人を束ねるのは、「おやじさん」と呼ばれる杜氏(とうじ)です。
重責を担うおやじさんはいつも厳しい雰囲気をまとっていて、子ども心にも近寄りがたい存在でした。

蔵に続く建物には検査室と瓶詰場があります。
小売りもしていたため、小売り用の店舗と帳場(事務室)、蔵人以外の従業員が泊まるための部屋や食堂もありました。

仕込みから販売までの過程に関わるさまざまな人たちが真摯に働き、共同生活をしている―そんな環境は大切なことを教えてくれました。

「神さま」への感謝

ものづくりの現場を垣間見つつ学んだことの1つは、「神さま」への感謝の気持ちです。

まずは神棚へ

仕込みシーズン中の楽しみといえば、「ひねりもち」。米の蒸し具合をみるために、掌にとったひと握りの蒸米を木製のスプーンのような道具を使って練り、もちのような楕円にまとめたものです。
下の図2のように、表面がでこぼこしています。*3

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図2 ひねりもち
出所)灘酒研究会「ひねりもち・検蒸」
http://www.nada-ken.com/main/jp/index_hi/139.html

明け方に蔵の様子を見に行った父が、たまに持ち帰ってくれました。まず神棚に供え、それを下げた母がこんがり焼いてから、かつお節を入れた生醤油にくぐらせ、もう一度さっと炙ります。

男性の掌サイズのひねりもちを家族の人数分、切り分けてくれるのですが、7人家族だったため、1人分はせいぜい中指くらいの大きさ。おもちといっても、酒米はうるち米なので、もちもち感や粘り気はなく、かなり歯ごたえがあります。それを噛みしめながらゆっくり大事にいただくのが、通学前の楽しみでした。

「神さま」に手を合わせる

神棚といえば、酒蔵の入口にも神棚があります。
さらに、酒の神様を祭った小さな祠(ほこら:私的で小規模な社)も敷地内にありました。実家がある諏訪地方では、申と寅の年に御柱という祭りが行われ、山から切り出し引き廻してきた巨大な柱を諏訪大社の四隅に建てますが、実家の祠でもささやかな御柱を行い、四隅に柱を建てていました。

神棚や祠に手を合わせるのは、造り手の感謝の気もちのあらわれです。
そもそも原料の米や水、麴菌は自然の恵み。その恵みをいただいたことに感謝し、酒造りがつつがなく営まれていることに感謝する。

市内には同業の造り酒屋があり、それぞれにファンがいました。
今のように多様な商品展開など考えられなかった時代です。何代にもわたるご贔屓さんが多かったため、父は昔ながらの味を維持することに心を砕いていました。

酒造りはバイオテクノロジーです。米のでんぷん質を麹菌の力で糖分に変えながら、同時に酵母の力によって糖分をアルコールに変えていくという、複合的で高度な技術を駆使します。
微生物である麹は非常にデリケートで、温度や湿度などの影響を受けやすい。

現在は科学的に収集したデータを分析し、人の勘に頼らず、安定した品質の清酒を製造して大成功を収めている酒蔵もあります。それも1つの方向性だと思いますが、当時はそのような発想も科学的な基盤もありませんでした。

蔵人たちは自身の経験や勘を支えに真摯に取り組むしかありません。もし失敗すれば、味の良し悪しどころか、売り物がなくなってしまうという最悪の事態も生じかねません。

真剣勝負で仕込みの作業をしながら、人智を超えた何者か(神さま)に祈る。
そして、無事に作業ができていることに対する感謝の気持ちを伝える。

神棚や祠に向かって手を合わせるのは、酒造りだけでなく、ものづくりに共通する、切実で素朴な心情に違いありません。

人はすべて互恵関係の中で生きている

もう1つの学びは、人は支え合い、互恵関係の中で生きているということです。

蔵人あっての造り酒屋

仕込みの時期が終わりに向かう頃、特別な日が訪れます。
「甑上げ(こしきあげ)」です。

「甑(こしき)」というのは、米を蒸すための桶のようなもので、「甑上げ」とは、もう米を蒸す工程が終了し甑が必要なくなったので、片づけるという意味合いです。

工程はまだ少し残ってはいるものの、無事に今季の酒造りが完了したことを祝い、仕込みに携わってくれた蔵人に感謝し、その労苦をねぎらう宴を開きます。

甑上げの日、現場はいつになく華やぎ、いつもは怖いおやじさんも、この日ばかりは笑顔を見せていたことを思い出します。

芸者さんは大切な存在

ここで冒頭の芸者さんの話をしましょう。

父も母も、芸者さんに感謝し、大事にしていました。跡取り息子である兄の結婚披露宴にこぞって来ていただいたのも、また来てくださったのも、それゆえでしょう。
なぜなら、お客さんにお酌をする芸者さんは、お酒を顧客に届けてくれる大切な存在だからです。

いかにも昭和の話ですが、私が中学生の頃は、学校のお掃除のとき手ぬぐいを被ることになっていました。母がいつも持たせてくれたのは、「ぽん太」とか「ぼたん」とか、芸者さんの名前が染め抜かれた手ぬぐい。芸者さんたちが新年に配ってくれたものでした。

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支え合って生きている

父は人の悪口をひどく嫌いました。

「うちのご贔屓さんがどこにいらっしゃるかわからないんだよ」が口癖の父にしてみれば、誰に対しても誠実であろうとするのは当然のことだったのかもしれません。

うちのお酒を置いてくれる飲食店がオープンすると看板を提供し、できるかぎりそのお店を利用します。
小売の酒屋さんや飲食店の近くで火事があれば、すぐに火事見舞いを持って駆けつけ、手伝えることがないか尋ねます。

支えていただいて生かされている者が、支えてくださっている方をお助けするのは当たり前だ―その姿勢には、ものづくりを通して培われたそんな価値観が貫かれていたように思います。

ものづくりは、ものを造っただけでは終わりません。その「もの」をエンドユーザーに届けてくれる人がいて、その「もの」を受け取ってくれるユーザーがいる。だから、またものを造ることができる。そんな生業です。
そして、そこに関わる人たちはみな互恵関係という幸せな関係で結ばれています。

人智を超えた「神さま」への祈りと感謝の気持ち。
人はすべて互恵関係の中で生きているという価値観。

造り酒屋という、ものづくりの現場が教えてくれたことは、今も私の中で生き続け、私を支え続けてくれています。


資料

*1
厚生労働省「酒類製造業における HACCP の考え方を取り入れた衛生管理のための手引書(案) (小規模事業者向け)」p.3
https://www.mhlw.go.jp/content/11135000/000580912.pdf

*2
日本酒造組合中央会「日本酒の製造工程」
https://japansake.or.jp/sake/about-sake/sake-brewing-processes/

*3
灘酒研究会「ひねりもち・検蒸」
http://www.nada-ken.com/main/jp/index_hi/139.html

横内 美保子

博士(文学)。総合政策学部などで准教授、教授を歴任。専門は日本語学、日本語教育。 高等教育の他、文部科学省、外務省、厚生労働省などのプログラムに関わり、日本語教師育 成、教材開発、リカレント教育、外国人就労支援、ボランティアのサポートなどに携わる。 パラレルワーカーとして、ウェブライター、編集者、ディレクターとしても働いている。