「道具に愛が無い者はプロではない」 道具愛のために前歯を折ってしまった先輩の思い出

道具、工具、ツールなど、何と呼んでも構わないが、それらはわれわれが仕事を進める上で欠かせない「相棒」と言うべき存在だ。
同じ機能の道具であっても、現場で生きるかどうか、長持ちするかすぐ壊れるは使う人次第。
では、いかなる姿勢で道具と向き合うのがベストかと言えば、筆者個人や友人たちの経験を元に語ると、「モノへの愛を持つべき」というのが自分の考えである。

ただ、それは大切に思う余り、まるで家宝のように使い惜しみをするということを意味しない。
製作者や開発者は、何を望んで世にそのプロダクト、すなわち道具を送り出したのかを考えてみればよい。
彼らはきっと、願ってるはずだ。
自分たちが生み出した道具が活躍の場を思う存分与えられ、そこで最大限のパフォーマンスを出せるよう大事に扱われることを......!

その願いに応えることこそ道具への愛であり、リスペクト。
仕事がデキる人は大なり小なりそのような心を持っている。
......といったワケで今回は、日々の仕事で使う道具との向き合い方について、思うところを書いてみたい。

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電球1個のことで本気の説教を受けた思い出

自分がまだ駆け出しの雑誌編集者だった頃、仕事とは常に怒られながらするものだった。
特に忘れられないのは、モノに対する扱いについて先輩方の厳しい指導を受けたことだ。

例えば、グラビアモデルの撮影現場。
照明用にやや特殊な電球と遮光カバーを使った後、備品管理は新人の仕事だったのでそれらをしまっていたら、怒声が飛んできた。
「なに電球を素手で触ってんの!? あと、カバーを折りたたむってお前、バカ?」

その先輩いわく、電球に指紋がつくとそこから割れやすくなるらしく、カバーの方は使っているうちに折り目から裂けるので、絶対に丸めてしまわなければいけないらしい。
とりあえず頭に浮かんだのは、「それ、先言ってよ」ということ。
そして、「電球のことでそこまでムキにならんでも」との思いだが、もちろん反論が許される関係ではないので1時間ほどの説教を直立不動で聞くしかなかった。

当時は筆者も若かったため、心中ではイチャモン来た、くらいの感じで受け止めていたし、実際のところその電球は指紋がついたくらいで割れたりしなかったのだが、後になって先輩がガチで怒った理由は分かるようになった。
要は、「道具を雑に扱うな」という教えだったのである。
そこには会社の備品、つまりお前のものじゃないのだから大事に使え、仕事ではたとえ電球1個と言えども細かなことまで気を配れということなど、さまざまな意味が込められている。

ただ、今になって思うと、先輩が一番言いたかったのは、
「仕事道具に愛のない奴は、俺ァ信用できねえ!」ということだったのだと感じている。
その後、長年仕事に従事する中で自分も理解したことだが、モノを雑に扱う者は、人や仕事への態度も雑になりがちだ。

逆に、愛情でも情熱でも何だっていいが、熱い気持ちを抱いて人、そして仕事に向き合う方は、道具を大切にする意味を理解しているように見える。
それがないと、そもそも仕事が回らない。
ちゃんとメンテナンスをし、使いこなせば作業の能率が上がる。

ゆえに、いい仕事をしようとするなら、道具を愛せよーーと、言うのは簡単だが、筆者とてそれを徹底できているかというと自信がない。
どんなに便利なものでも毎日使っていると、人はそのありがたみをつい忘れがちである。
そうならないためには、想像力を働かせることだ。

いま目の前にあるこの道具が、もし突然消え失せたら?
大事に扱わなかったせいで、いきなり壊れてしまったら?

......と書いている筆者自身もこの瞬間、原稿を書いているノートPCが起動しなくなったらどうなるかを思い浮かべ、思わずヒヤリハット状態に陥ってしまった。
道具への愛着心を持つことは、あなたの仕事のクオリティを高めることに等しい。
業務でさまざまなツールを使う方ほど、ぜひこの機会に身の回りにあるモノとの付き合い方を改めて考えていただきたい。

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道具のかけがえのなさに思いを馳せて

では、道具を大事に扱うとは、具体的にどういうことか。
これは業界や個人の考えによって違いがありそうだが、現役で電気工をやっている友人が言っていたのは、まず最初の一歩として、決まった場所に置き、使う上でのルールを守るということ。
彼いわく、現場で一瞬持ち場を離れる時でも、道具を適当にほっぽっておくような人には仕事の肝心なパートを任せたくないという。

工具を壁に立てかけて、誰かが足でつまづいたり、突然倒れて壊れたら?
はたまた、それで誰かが大ケガをしたら?
「そこに思いが至らない時点でプロじゃないし、現場を全く分かっていない」とまでその友人は言っていた。

一方、長年カメラマンをなりわいとしてきた大先輩が言う「道具への愛」は、とにかく使って使って使い倒すこと。
それはもちろん雑な扱いをするのではなく、壊れないよう細心の注意を払った上で、その道具が持つ機能を最大限引き出すという意味である。

どれほど優れた機材でも、現場で生かさなければ宝の持ち腐れとなりかねない。
だが、カメラマンの世界では道具への愛がモノへの過剰な偏愛やコレクション熱に転じることもママあるのだという。
いくら性能のいいレンズを大枚はたいて集めても、自室に並んでいるのを眺めて悦に入っていて使わなければ、仕事のクオリティは変わらない(本人が気持ちよければ別にいい気もするが)。

「それは製品に対する本当の愛じゃない」というのがその方の信条で、まあ確かにそうだよねとうなずける部分、なきにしもあらず。
ただ、筆者にはIT業界の人間でガジェットをこよなく愛し、PCやスマホ、さらには最近だとチャットAIまでもを「この子」と呼ぶ知人もいる。
彼にとって機械は人と同じく愛情を注ぐ対象なのだなと思うと、そのような偏愛もまんざら否定できない。
少なくとも、道具なんてどうせ使っているうちに壊れるんだから、適当に扱えばいいっしょ、というノリの方よりは、格段にいい仕事をしそうである。

ちなみに、自分が最も世話になったとある編集者の先輩は、新聞配達をしながら苦学をしていた過去を持っているせいか、バイトで乗り回していたママチャリにとてつもない偏愛を抱く奇特なお方である。
どれくらいの愛情の深さかというと、愛用のママチャリを「アイ・シャル・リターン号」と名付け、ある日運転ミスで電柱に衝突しそうになった時、自転車をかばおうとしたのか顔面から電柱にぶつかり、前歯をもっていかれたという伝説(事実だが)を持つほどである。
そして、自転車だけでなくモノ、人、仕事に対して万事そういう姿勢ゆえ、何をやるにしてもとてつもない熱量を抱いて取り組み、キッチリ結果を出す。

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筆者はそこまで強い思い入れを持ち得ないし、前歯だってもっていかれたくないのだが、「この人、よく分からんけど愛があるな」と思ったのは確かだ。

いずれにせよ、こういった道具愛に満ちた人々の仕事ぶりや筆者自身の経験から言うと、道具を嫁や彼女のごとく愛せよとまでは言わずとも、一定の思い入れを持ち、その便利さに感謝する気持ちを持つことは非常に重要だと感じる。

その時に心がけたいのは、愛情にしろ感謝にしろ、何か特定のモノだけでなく、全ての道具にできるだけ等しく同じ思いを抱くべきということだ。
それは、高価なものだからありがたい、便利だから愛着を持つというのではなく、それこそ前述の先輩のごとく電球1個を大事にする気持ちである。
仕事で必要となるツールは、その場、その時によって同じではない。
どうせ使わないものだからと適当に扱っていたものが、ある時突然どうしても必要になる、などということは仕事において割とある。

あの時、ちゃんと大切にしておけば......と後悔したところで後の祭りであり、これはモノだけでなく人との関係などさまざまなことに当てはまる。
そんな状態に陥らないため、あらゆる道具に、等しく愛を注ぐべし!

御堂筋 あかり

スポーツ新聞記者、出版社勤務を経て現在は中国にて編集・ライターおよび翻訳業を営む。趣味は中国の戦跡巡り。 ツイッター@kanom1949