仕事で頑張った後のめし、最高! キラキラ食事情報に惑わされないためのグルメ考

人間、誰だっておいしいものを食べたいと願うのは当たり前で、なんなら他人が味わっているのを見ているだけでも割合に楽しめるもの。
それゆえ、雑誌やテレビ、はたまたネット媒体に至るまで、めしコンテンツはいつの時代も鉄板中の鉄板なわけだが、そのような情報に接する時、皆さまに考えていただきたいことがある。
それは、「最高のグルメ体験とは何か?」ということだ。

この問いに対し、意識高めな方々の中には、行列ができる店や有名人行きつけの店、もしくはミシュランで星幾つといった店の料理などを挙げる者もいるだろう。
だが、筆者は断固として次のように反論したい。

「仕事で頑張った後のめし、最高」。

そんなのオメー、現場でいい汗流してヨォ、くったくたに疲れて帰る途中、ふらりと立ち寄った適当な店で食うギョーザ定食の方が、絶対うまいに決まってるだろうが......!
と、やや卑俗な言い方になってしまったが、この道理を理解せずに語られる料理の腕や素材がなんたらかんたらという能書きに、自分は価値を感じない。

これは、セレブな食生活を送っている人々へのひがみでもなければ、筆者に高いものを食べに行く金がないゆえの強がりでも何でもない(確かに金はないが)。
自分なりにいろいろとグルメについて探求した上で達した境地であり、割と自信のある結論だ。

では、なぜそう考えるようになったのかということを、ここでは僭越ながら語ってみたい。

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味わうべきは「グルメ情報」ではない!

さて、突然だが筆者はかつて雑誌編集者として、中高年男性をターゲットとするいわゆる「オヤジ雑誌」を作っていた時期がある。
その際、表紙と巻頭インタビューには読者層と同年代の男性タレントを起用するのが常だった。

さすがに名前は出せないが、当時とある業界の大御所を取材した際、その方が言った言葉で忘れられないものがある。

「俺、バラエティ番組に呼ばれることが多いけど、あれはあれで気楽に見えて大変なんだよ。
グルメコーナーで何か食って感想を言わなきゃいけないこともあれば、スポーツ特集で誰々選手についてどう思いますかとか聞かれるわけだ。

本音では『うまくも何ともない』とか『知らねえよこんな奴』とか思うことだってある。
でも、そんなの言えるわけないじゃん、仕事なんだから。

あと、グルメ番組のロケなんかだと1日に何軒も店を回っちゃってさ、いくらいいものを出されても腹なんて減ってないんだから、うまいと思えないし、そもそも食えないんだよなァ」

ーーと、ぶっちゃけトークをかましてくれたは良かったが、マネージャーからその場でこの部分全カットとの横ヤリが入り、お聞きしたイイ話のほとんどはインタビューに掲載されずじまいとなった。

だが、この大御所が語っていることは、ちまたにあふれるグルメ情報の問題の核心を突いている。
テレビや雑誌で紹介されていて、有名タレントが「うまい!」と太鼓判を押したからといって、必ずしもおいしいとは限らない。

むろん、情報として伝える価値があるから各メディアが取材するのであって、ハイレベルな店が多いのは確かだろうが、食べる人、食べるシチュエーションが変われば、感想だって同じではないはず。
少なくとも、コンテンツとしてのグルメ情報をうのみにして、あの人が、あの番組がおいしいと言っていたからここの料理は最高などと考えるのは、食通ではなく単なるミーハーにすぎない、と自分は思う。

他にも、「高いから」「人気だから」「話題だから」など、いずれも同じ。
そういった基準で自分にとって最高のグルメ体験を語るのは、筆者に言わせればめしではなく情報を食っているようにしか感じられないのである......!(ますますひがみっぽく聞こえるかもしれないが)
つまり何が言いたいかというと、食事で感動を得られるかどうかは、絶対的な味の優劣で決まるとは限らないということだ。

例えば、山登りやキャンプが趣味という方ならご理解いただけると思うが、限界まで身体を動かした後に食べる山小屋のカレーや、寒い季節にテントでガタガタ震えながら食すカップ麺のうまさは、言葉で表せないものがある。
はたまた、筆者には電気工をなりわいとする友人がいるのだが、彼がよく口にするのは冬の屋外徹夜仕事を終えた後、いつも立ち寄る早朝営業のそば屋の話。
凍えるような寒さの中、店に入って注文すると1分も経たずにそばが出てきて、アツアツのつゆを一口すすれば疲れた身体にじーんと沁み渡る。

「その味を知ってると、創業100年の老舗の味、通がうなる本格手打ちそばとか言われても、俺は『あ、そうすか』って感じで、何かグッとこないんだよな......」

仕事でとことん頑張って、腹を空かせていればこそ、そして身体が栄養を強く欲しているからこそ、一見ありきたりに思える食事がかけがえのないグルメ体験となる。
日本中の名店に詳しい方よりも、そういう食の楽しみを知っている人の方が、自分にとっては本物の食通であり、敬意を払うに値すると感じるのだ。

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食生活を他人と比べて何になる

SNSを始めとするさまざまなメディアを通じて、やたらとキラキラした他者のめし体験が目に入ってくる昨今。
流し見していると知らない店を知るきっかけになったり、ちょっと行ってみようかなと食指を動かされたりするのだが、時には「コイツはこんなうまいものを食っているのに、私ときたら」と感じてしまうこととて、なきにしもあらず。

ちなみに筆者は現在中国で暮らしており、SNSではどうしても同じ現地在住者とのつながりが多くなる。
すると、日本円で一食1万円は下らない外食をしょっちゅうしている方、接待接待また接待でタダメシ生活を満喫している方などの食生活を意図せずしてウォッチングすることになる。

それに引き換え、セコいめしで適当に済ましている私って一体、と思うこともいっときあったのは事実だけども、現在はそのような境地を突き抜けたところにいる。
SNS上には「おいしいものに関する情報をみんなとシェアしたい」という意識で投稿を続ける方もいれば、「こんな高いものを連日食ってる俺ってヤバくね?」と言いたいだけの人も少なくない。
この2タイプにキッチリ分けられるわけではないが、どういう狙いであろうと、極論すれば他人事。
現実世界でも言えることだが、ましてやSNSで自分と他者を比較することほど、無意味な行為は他にない。
他人がどれほどキラキラと眩しく見えようが、そんな輝きなんて、まやかしに過ぎない!

とまでは言わないが、少なくともうらやむ必要は全くない。
だって、そんなことをしたって、あなたの今晩の食事がおいしくなることは決してないのだから。

むしろ、仕事なり学業なり、自分のやるべきことに全力を尽くす。
そして、晩飯タイムになったら、目の前にある食事を、「頑張った後のめし、最高!」と満面笑顔で胃袋に落とし込む方が、間違いなく幸せだ。

......と、ここまで自分のグルメ観を語ってきたわけだが、中には「それってあなたの感想ですよね」と思う方もいれば、全く同意できないどころかこの人大丈夫かしらと思われた方とているかもしれない。
それはそれで、おそらく正しい。
結局、何をもって最高のグルメ体験とするかは極めて主観的な話で、これはあくまで筆者の考えに過ぎない。

ただ、現場で日々汗を流している方々には、きっといくばくかの共感を覚えていただけたのではないかと期待している。
額に汗して働くことは、めしをおいしくする最高の隠し味!
......などとうまい事を言ったつもりになりつつ、本稿はこの辺で締めたいと思う。

御堂筋 あかり

スポーツ新聞記者、出版社勤務を経て現在は中国にて編集・ライターおよび翻訳業を営む。趣味は中国の戦跡巡り。 Twitter @kanom1949