「紙コップと陶器マグは同じですか?」モノの価値とは何か -- 意外な議論のゆくえ

「この世に存在する、ありとあらゆる"もの"には、誰かの思いが詰まっているんですよ」

子どもの頃に大人から聞いたこの言葉が、ずっと心に残っています。

それは、手作業で生み出された陶器のマグカップでも、機械が大量生産した紙コップでも。

今、部屋の中を見渡して目に入る、すべての"モノ"の背景に人がいます。

「同じコーヒーでも味が違うでしょう」

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筆者は、モノづくりに携わる関係者が多い環境で育ち、子どもの頃、職人や芸術家は身近な存在でした。

ある日、ギャラリーのオープニングレセプションに連れられていき、端っこでオレンジジュースをすすりながら、大人たちの様子を見ていました。

子どもながらに、偏屈で、でも抜群におもしろい、"変な大人"たちに興味があったのです。

彼らは、ときおり議論がヒートアップして、ああでもない、こうでもないと、口々に話し合っていました。

そんななか、初老の男性が、手にしていた陶器のマグカップを、空高く掲げます。

「ほら、こうやって、陶器のマグカップで飲むと、同じコーヒーでも、味が違うでしょう。紙コップじゃ味気ない。モノづくりっていうのは、そういうことですよ」

彼は陶芸家です。筆者も、彼の窯場に遊びに行ったことがありました。

陶芸家というと、"ろくろ"で自在に土を操るイメージがありますが、彼の腕には、やけどの跡が多くあります。窯に火が付いている間は、徹夜で窯と向き合っていると言っていました。

たいへんな苦労の末に、ひとつのマグカップが生まれていることを知っている同席者たちは、

「そうだ、そうだ」

という具合に、うなずいていました。

「紙コップだって、モノづくりです」

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そのとき、白い紙コップが、空高く掲げられました。

「紙コップだって、モノづくりです」

その場にいた皆が、今度は「えっ......?」という具合に、振り向きます。

紙コップを掲げた主は、めがねをかけた建築家でした。

紙コップに入った水をこくりと一口飲み、

「この縁の丸みが、じつにすばらしい。口当たりがまろやかで、紙コップの変形も防いでいる」

残りの水を飲み干すと、紙コップの上下を、くるりと返しました。

「この底も、じつにすばらしい。安定性を加えるとともに、重ねたときの密着を防ぎ、取り出しやすくしている」

彼は、少しいたずらっぽく笑って、言いました。

「紙コップの造形は、じつにすばらしい。こんなに完成された機能美は、ないですよ。モノづくりっていうのは、そういうことですよ」

周囲からは「ああ......」と納得のようなため息が聞こえ、先の陶芸家は、「たしかに!」という顔をして、紙コップを手に取り、しげしげと眺めています。

「​​誰かの思いが詰まっている」

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「この世に存在する、ありとあらゆる"モノ"には、誰かの思いが詰まっているんですよ」

議論のゆくえを見守っていたギャラリーのオーナーが言い、皆が、ぶんぶんと、首を縦に振りました。

おいしくコーヒーを飲めるように。

安全に清潔に水を飲めるように。

まわりを見渡せば、私たちは、温かい"誰かの思い"をまとったものに囲まれて、生活しています。

家事が楽になるように。

快適に歩けるように。

ゆっくり眠れるように。

人生には、さまざまな形での助け合いや支え合いが存在しますが、ただこの世界にいるだけで、誰かの思いを受け取っていることに気づきます。

「私たちは、うつくしい世界に、住んでいますよね」

モノの価値とは何か

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それから数十年経ち、筆者もさまざまなモノづくりの現場で、はたらいてきました。

陶器のマグカップは、手間暇をかけて創り出された価値のあるもので、紙コップは大量生産され、使い捨てられる。

そのような単純な視点では、語りきれない部分の存在を、思い知らされることになります。

大量生産でも苦心も真心もある

たとえば、メーカーで製品を作るために、"新しい容器"を作ります。

たしかに、機械が大量生産する容器かもしれません。しかし、金型ひとつ作るのに、どれだけ多くの人が苦心を重ねているか、知りました。

力の弱い人でも、ふたを開けやすいように。
インテリアに自然になじみ、置きやすいように。
手に持ったときに、どこかほっとするような質感が出るように。

何度も打ち合わせを重ね、試作をやり直して、調整していきます。

あるいは、

「国内の工場は質が高くて、海外の工場は質が低い」

というイメージを、多くの人が抱いています。

実際に現場を見れば、海外の工場でも、たくさんの人たちが真心を込めて、モノづくりに向き合っていることがわかります。

ミスを減らし、品質の高い製品を安定的に供給できるようにと、創意工夫をこらしています。

筆者自身、苦心を重ね、真心を込め、誰かの役に立ちたいという願いを込めて、製品を送り出してきました。

向こう側への想像力

誰かが大事に作ったものを、よく知りもしないのに、価値が低いと決めつけてよいのだろうか。そんな疑問が、頭をよぎります。

「この世に存在する、ありとあらゆる"もの"には、誰かの思いが詰まっているんですよ」

ギャラリーのオーナーが言ったこの言葉が、いつも胸にありました。

あらゆる製品、サービス、生産物の背景に、かならず誰かの存在があります。

携わった人たちの思いが、目の前の"もの"に反映されていると知るならば、その価値を、再考することができます。

モノの向こう側への想像力です。

価値を見いだすスキル

多くのものには"値段"がついているために、私たちは「損か・得か」で、ものの価値を測りがちです。

ですが、モノの価値は、無数に多面的であり、相対的です。それぞれの視点や状況によって変化し、さまざまな角度から、"誰かの思い"が交錯します。

数字だけで価値を決めてしまうことこそ、"損している"といえるかもしれません。

モノの価値を見いだすスキルが高ければ、それだけ日々は豊かになるのではないでしょうか。

紙コップの縁や底の工夫に感動すること。陶器の絶妙な焼き具合をめでること。

私たちが知らない価値は、まだまだ、あります。心を開き、好奇心を持ってものを見つめると、驚きや感心が生まれます。

そんなふうに向き合ってもらえたなら、その"モノ"を送り出した人にとって、最も幸せなことでしょう。

さいごに

私たちは、自分の身を守るために、物事を批判的に確認し、不利益を被らないようにするトレーニングを、たくさん積んでいるように思います。

筆者自身、新しいものを手に入れたら、不具合はないか、まずいところはないか、厳しい視点でチェックすることが習慣になっています。

一方で、不具合を見つけたり、苦情を言ったりするスキルばかり強くなってしまったら、うつくしい世界が、少し狭くなってしまうようにも、思うのです。

誰かの思いを受け入れ、自分もその一部になり、世界を温かいまなざしで見つめられるようになりたいと、考えます。

三島 つむぎ

ベンチャー企業でマーケティングや組織づくりに従事。商品開発やブランド立ち上げなどの経験を活かしてライターとしても活動中。